オーディオにおける知遇と啓発
クラシック音楽を聴き始めて約50年、オーディオを始めて40年を超えた現在、この間の軌跡を辿ってみました。この間、良き仲間、卓越した技術者、親身のアドバイザーとしての販売店主達の知遇を得、インスパイアーされてきた経過を記録し、感謝の意を表すことにしたいと思います。
【研究室時代】
貧乏学生でしたから、高価な装置は指をくわえて眺めるだけでしたが、指導教官が大学のオーケストラの指揮の経験があり、音楽好きが揃っていました。我々がオーディオの話をしていると、割り込んできた指導教官が、「君達、音楽を楽しむには装置なんか要らないんだよ。スコアーを見ていると音楽が頭の中に響いてくるから。」と。これには一同返す言葉もありませんでした。音楽好きの台湾からの留学生と武道館のルビンシュタインの訪日コンサートを聴きにいったのも楽しい思い出です。
【会社時代】
就職してからも、音楽好きやオーディオマニアが周辺に揃っていました。タンノイのレキュトアングラーをDA30などの大型真空管アンプで駆動している先輩の家に招かれたり、コンサートで顔を合わせたりとか、啓発されることが多々ありました。
事業所を移った時、マニアが来るらしいという噂が伝わっていて早速お付き合いが始まりました。この時のO氏、S氏、F氏、I氏、N氏などとは定年まで30年間に及ぶ行き来がありました。真空管アンプ好きが多く、アルテック、タンノイ、音研の砂入りホーン、スタックスのコンデンサースピーカーなど、それぞれユニークな音を聴かせてもらいました。この30年間は、主に自作の真空管アンプの聴き比べ、球の種類や回路あるいはカップリングコンデンサーの好き嫌いの議論、カートリッジやトランスやフォノイコの組合わせの最適化などがテーマで、真空管サウンドとアナログにこだわっており、ディジタルと言えば、S氏のルボックスを聴かせていただいたことくらいしか覚えていません。
また、ヴィンテージオーディオにも目覚め、豊中オーディオ、芦屋ベルステレオ、Western Lab.、音の市、スズキやその後もしなの音蔵、サウンドボックス、MAROなどのショップにもお世話になりましたし、真空管を取り扱うショップにも足しげく通いました。
【新たな出会い】
ことの起こりは2001年の秋の大阪ハイエンドオーディオフェアーに遡ります。ヒノ・エンタープライズのブースを覗いたところ、あまり高価でないような装置で音楽性豊かな響きが聴こえてきました。見ると、何やら怪しげな緑色の小箱がセットされています。ムジカライザーという命名自体も怪しげです。ヒノ・エンタープライズのスタッフに、仕掛けの中身を聞いても要領を得ません。質問攻めに閉口したスタッフが「設計者を呼んできます。」と言って現れたのが、製造元の秋葉良彦氏でした。秋葉氏の方も変なマニアが来たというような顔で緊張しておられました。しかし、このムジカライザーの説明を聞き、「強力なマグネットを備えたAXIOM80に有効か?」という質問に対して肯定的な答えが返ってきました。スタッフが河口無線に在庫があるというので、携帯電話を借りて予約し、その足で河口無線に向かいました。この時、その直前に評論家の村井裕弥氏のAUDIOMOOK2002の関西オーディオの一連の取材があり、関西合唱界の重鎮I先生のお宅でムジカライザーの試聴があったことは知る由もありません。なお、秋葉氏のご令名はオーディオアミーゴ誌上で存じてはいましたが、これが初対面でした。
【出会いの広がり】
このAUDIOMOOK2002の一連の取材の中で、K谷氏とM谷氏はムジカライザーに興味を持ち、秋葉氏にコンタクトされ、その仲介を受けてK谷氏がM谷氏を誘って拙宅へのご来臨となりました。ここでのムジカライザーの効果は、M谷氏が投稿された名文に詳しいので、Letter’s to the Editorの方を参照してください。AXIOM80と同時にムジカライザーをセットしていないJBL4350Aもお聴きいただいたが、何とも寂しい音であったことは言うまでもありません。AXIOM80における効果に勇気づけられ、ムジカライザー2セットを導入し、会社の同僚のマニアにセッティングを手伝いに来てもらって、使用前、使用後を一発勝負で確認してもらいました。
【啓発の始まり】
ムジカライザーを接点として、M谷氏、K谷氏とのお付き合いが始まり、アクセサリーや使いこなしについて、いろいろ啓発を受けることとなった。御影石のインシュレーター、制振金属、パーフェクトバリアー、御影石の電源ボックス、備長炭シート、クライオ処理のブレーカーや壁コンセント、電源ボックス用コンセントなどなどが、それまでにやっていたことに加えて新たな実験材料となりました。また、M谷氏、K谷氏を通じて紹介されたN川氏からは五色石を、M元氏からはグリーンカーボランダムなどを教わりました。アイコニックをIPCのアンプで駆動するM元氏からはWesternの技術について教わりました。
【ディジタルオーディオの展開】
秋葉氏には、ムジカライザー以後も、試聴会などを通じてディジタル技術などの最新情報を教えて頂き、マグナライザー、ABS-9999、DAC-1の導入となりました。特にABS-9999とDAC-1の組み合わせは、いわゆるCD臭さを払しょくしてくれました。マグナライザーはアナログ、ディジタルを問わず、回転系の機器に威力を発する他、小型スピーカーの3点支持により、スピーカーが伸び伸びと唄うようになり、驚かされました。なお、iPodにも手を出し、非圧縮で入れた場合の音の良さに感心しました。特にゼンハイザーのヘッドフォンやイヤフォンとの組み合わせには言うことなく、出張の際の移動時の良い友となりました。
【二つの目標】
これらの過程でいろいろ進歩がありましたが、音の佇まい、音楽性の主張という点でクラッシクを聴き込んでおられる、K谷サウンドと関西合唱界の重鎮I先生のサウンドが目標として浮かび上がってきました。即ち、弦や木管の質感と音場表現の向上です。このために、まず、ムラタのセラミックツイーターを導入し、さらに、K谷氏から触発されてスーパーステレオへの道を辿ることになりますが、これについては後述します。さらに、平本式スーパーステレオの提唱者である平本邸のサウンドを聴いて、さらに目標が増えました。
【JJ工房とのお付き合い】
元来、Jazz系統のオーディオマニアとのお付き合いは敬遠気味するところでありました。エキセントリックなオーディオマニアが多いことや、学生時代に見聞した60年代の外人プレーヤーの麻薬汚染、東京のJazz喫茶の煙草もうもうの不健康な雰囲気の記憶が染み付いていたからです。しかしながら、K谷邸に招かれた際に紹介されたり、JJでお会いした、JJのマスター氏、Aquirax氏、大氏、F氏、KT氏、G氏達は、感性に優れ、音の判断能力が的確でJimmy Jazzに集う方々が決して先入観のあった怪しげな人達でなく、啓発されるところが多いことを事実が証明してくれました。
【コンセプトの転換としなの音蔵】
この頃、新潟の会社に行く話が出てきました。長い冬、雪の中に閉じ込められることから、JBLモニターによる、「正しい音」を追求することから、酒を飲みながらでも「楽しめる音」へのコンセプトの転換を図ることにしました。また、I先生のサウンドを追撃すべく、小型スピーカーによる点音源の可能性を追求することにしました。このため、アコースティック・ラボのステラ・ハーモニーを購入して持参しました。さらに、阿部氏主宰のしなの音蔵に出入りする間に、Telefunkenの局用モニターL61を知り、アンプもLangivinの6V6pp、ついでしなの音蔵オリジナルの300Bsを購入し、終には、しなの音蔵オリジナルのプリアンプとMCトランスまで揃えてしまいました。良質の管球アンプの質感のおかげで、スーパーステレオやインフラノイズのディジタル機器で積み上げてきた教会やホールの音場再現が加速することになりました。
【スーパーステレオへの道】
K谷氏から触発されスーパーステレオを導入することにしました。I先生サウンドの音場表現に近づくのにいいのではないかと考えたからです。このため、ダイナベクターを訪問し、技術部長から直々のご説明を受け、ダイナベクターの創始者冨成先生の論文集を頂戴し、冨成理論を勉強しました。また、平本式スーパーステレオを編み出し、スーパーステレオの普及に熱心な平本氏を紹介され、氏のご自宅を訪問し、TADのマルチアンプシステムを中心にした精密な位相合わせにより音の繋がりが素晴らしくコントロールされたスーパーステレオに魅了されました。平本式スーパーステレオの解説、ダイナベクターのスーパーステレオの解説のサイトを下記に示します。
http://homepage2.nifty.com/stereohall/index.htm
http://www.dynavector.co.jp/dvssp/index.html
【ディジタル新技術へのチャレンジ】
秋葉氏が次々と開発されたディジタルノイズやジッターの対策は、既に社の同僚N氏が導入したアナログリコンストラクターAR3000で経験済みでしたが、その後、ABS-9999とDAC-1を自身で購入し、その効果は満足すべきものでした。さらに、日立マクセルのBit Revolutionの存在を知り、古いPCにWindowsのサービスパック2をインストールした上で、日立マクセルの窓口のアドバイスを得ながら、Vraisonをやっとこすっとこ立ち上げました。本来圧縮ファイルをヘッドフォンで聴くためのものですが、CDでもDVDでも、ライン出力からオーディオのソース系の一員として十分威力を発揮するものであることが分かってきました。また、CDはもちろん、DVDも高域に関する限りフォーマットとしては十分でないことも分かりました。人の耳には20KHz以上は聴こえないという事実と標本化理論の上に立ったCDの標本化周波数44.1KHzの選択はどこか間違っていたところがあるのだろうか? 標本化周波数の選択にあたっては、50.4KHz、48KHz、44.1KHz、32KHzの各フォーマットの提案の間で激烈な論争があったと聴きますが、リスナー不在の論理で決定されたように感じています。よしんば、50.4KHzあるいは48KHzが採用されていたとしても、DVDの実験からすれば不十分であるように思われます。また、当時、良質のスーパーツイーターがなかったことも決定の理由であったかもしれません。Bit Revolutionの実験結果は生物物理学的現象としての聴感の基本から見直さなければならない問題を示唆しているのではなかろうかと考えます。
【さらなる広がり】
K谷氏からは評論家の村井氏を紹介され、村井氏のオーディオ誌の記事の取材が縁となって、村井氏から西野氏、Mt.T2氏を紹介され、その西野氏からオーディオ道場の片山マスターやオーディオ道場に集う方々を紹介されることになりました。また、しなの音蔵ではここに集う方々やWesternを鳴らしている新発田市の山奥の喫茶店ミントを紹介していただき、北は新潟から南は熊本まで多くの方々の知己を得ることができました。また、村井さんからは、FALの古山社長をご紹介していただき、FALのスピーカー導入に至りました。
一方、関係している学会関係者の中にも音楽好き、オーディオ好きの方々がおられ、ITが本職のB氏他数名の方々がご来宅されています。B氏からはPCオーディオの中身について手ほどきを受けました。加えて、最近は大手電機メーカーOBのインフラノイズ製品愛好者との交流も増えています。
【ディジタル新技術の進展】
Bit RevolutionとABS-9999によって触発されたディジタル新技術への傾倒はこの後大きな変動を迎えることになります。
USB-101とUSB-201によるPCオーディオ
USB-5やNAS、PLEXTORのドライブなどストレージとドライブの導入
ABS-9999からABS-7777へ、そしてGPS-777へ
GPS-777を活かす周辺機器とディジタルケーブル
EMTなど外部クロック入力対応トランスポートの導入
PNASONICのDigaシリーズの導入
KORG MR2000sBKの導入とDSDのチャレンジ
一方では、ディジタルのレベルアップの後塵を拝したアナログもラストチャンスとばかり思い切ってLINNのLP-12を導入しました。MR2000sBKとLP-12の導入によりLP-12による再生音をDSD録音するなどアナログとディジタルの接点にも及んでいます。これらの経過はオーディオ実験室のレポートに紹介しています。
以上